グリーンディレクターとしてお庭のお手入れをしながらワークショップをさせていただいているIID。学校の敷地はとてもみどり豊かです。公園とも違い、いろんな生き物が来る庭を目指して、いわゆる雑草と呼ばれる草花や、実生で増えてきたものなども割とそのまま。ここを舞台に新たな仲間たちと始めたのが「みどりの星の座」です。
今回は東大の医師稲葉俊郎さんをお迎えしました。稲葉さんは2年ほど前に神保町の温室のTERRAIN VAGUEにて「醫と藝」というテーマで1年通じて座を持ってくださいました。西洋的な医療ばかりでなく古来「生を養う術」として様々な方法があり、日本では芸術や道として受け継がれてきたものも広い意味で医療だったのではないかといいます。
僕の体感として、花を活けることは、修身であると同時に自分の生を活性化させること。活性化した細胞は生命力を発揮してくれます。そして花は一人で活けると瞑想に近いですが、みんなでやると祭りになります。
「めぐり花」は、花活けの型と連句の型を合わせてみたら、、、!というのが発想の原点ですが、特に2011年の震災の時、改めて四つのプレートの間に漂うこの列島のことを考え、この風土こそが列島に生きる私たちの情緒や身体感覚を形作ってきたはずであるから、その自然に対する身体感覚を掬い直し、古層(時の古層、意識の古層)に触れ、チューニングすることが大事だと思っています。幸いなことに四季はこの列島に人が住み始める前から同じように流れ、動植物も変わらず力強く多様に息づいています。自然は時に大きな災いをもたらしもしますが、だからこそ恐れ畏み、祈りを捧げ、祭りをしてきました。人が傷を与えてきたにしても、ずっと守ってきてくれています。美しく輝ける刹那刹那を常にもたらしてくれます。そうした時、一つに結んでくれるのがいつも植物であり、身を飾るのは花でした。
これは僕の理解ですが、もともと「かみ」の「か」は「かすかな」の「か」であり、「み」は尊いもの、御阿礼や御霊の「み」であり、「かみ」は「かすかな尊いもの」。清められた場所にやってくるし、その音連れは幽かな訪いであるから、植物を立て、彼らが風などの振動に震える音を聴く。全身全霊で一挙手一投足で。それはいわゆる道に通じる。そう思っています。時と場所ももちろん大事です。出会うべき聖地がそれぞれあるのでしょう。
時間を追うごとに、ご参加くださった老若男女(生後5ヶ月〜60歳くらいまで)皆さんがほどけてニコニコに。植物の生命力と人のそれとが還流して生きる力が巡っているようでした。そこにはみるみるちょっとした山が生まれてきました。
20億年前くらいに分化したとされる植物と動物ですから、今という生命史の先っちょでまたひとつにもなれるのでしょう。
せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ
崇徳院の歌を思い出しました。
ゲストの稲葉俊郎さんのブログをシェアさせていただきます。
普段の暮らしの中で、生きている場所が聖地であり、驚きに満ちていて、愛でるべきもの、面白きものであることを知ると、日々生きる場所が生を養う「養生所」になりうると思います。こうした座が立つことで、多様な風土を知り、人々の多様性も体感し、お互いが笑いあえれば!風薫る五月をスタートに緑の星の座は季節を一巡りしていきます。