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松江/八重垣の庭

初夏を迎えた松江のお庭。手入れに入った庭師から一枚だけ写真が届く。その写真に映っていたものは、歌であった。2022年秋から冬にかけてお庭を作っているときのことを思い出した。現調に初めて行った時と比べると、コロナが終わりかけた仕上げの頃は東京からの2泊3日の出張費が6倍になった。庭師さんたちはラブホに泊まって作業してくれた。

土地は松江城と元々一続きの赤山にある。その丘へと上がった切り通しを東へ少し下がったところが今回の案件。お茶のお師匠さんがお住まいだった。紅葉や桜、クロガネモチ、椿など古い木はなるべく生かした庭づくりとなる。露路もあったので、様々な用途の地元の石が使える。

 春先の地鎮祭の終わり風がさっと通り抜けたとき“八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣つくるその八重垣を”という歌が聞こえた。傾斜地に立つ石積みと植栽とで、幾重もの垣で守られるお庭の佇まいがぼんやり見えたのを覚えている。

建築は平田晃久さん。松江の松平不昧公好みの茶室などからインスピレーションされた、茅葺ふうの屋根が重なった大きな茶室のような建築。

お施主さん好みの自然石の野面積みをすることに決まったが、地元では石切場は閉山していて、紹介で見に行ったりもしたが、ボリュームと予算が合いそうもない。松江城の石積みも立派だし、入手はできるのかと思ったら、不昧公のお膝元の松江でも国産の石については残念な状況。ようやく施工を依頼した懇意の鳥取の庭師の伝手で、鳥取城の石積みに使っている石を調達できることになった。

家への導線は三つある。

車で家の脇まで上がれる道、普段の玄関への道、お茶事の際の外露路。車路以外の道は、前の家の導線を少し筋を変えたりしつつも引き取っている。身体がどうアフォードされていくのか、何度も歩いて、転がっている既存の石など見つつイメージすることを繰り返し、配置を決めていく。

以前のお庭で使われていた地元産の石(来待石や島石)はもはや貴重。玄関から見たところ。
三段目は崩れ積み
一段目は野面積み 二段目は野面と崩れの間。
景石はもともとのお庭にあったもの。階段の石は鳥取城の修復でも使われている石。
右は内露路(まだ未完成)へ続く道。

年を経て、地元の石材を使い、お庭にあった景石を活け直して、手間暇かけて積んだ石垣は、記憶や生命がますます絡みつき、その手触りや情緒を受け継ぐ場となっていく。