2023年2月1日の「はなのみち」は、ゲストをお招きしてのお稽古。はなのみちが始まって以来2月のこの時期奥津さんにお願いすることが多いのは、立春前の鬼に見立てられる冬とか寒さとか暗い思いとか気枯れを祓い、笑って福を呼び込み、晴れ晴れと春を迎えたいため。そうでなくとも寒さで身も心も萎縮しているのにコロナや戦争や物価高で窒息しそうな世の中でもある。身体を大きく開いて、花が冬を超えて咲くように。
*狂言とは…室町時代から続く、人間の生きる力を表現する芸能。有名人はほぼ出てこない。能と狂言で「能楽」。「番組」として必ず交互に演目が組まれる。
*狂言の鬼…能の鬼と狂言の鬼の違い。
*狂言の面、装束…実際に狂言で用いる袴など拝見しながらお話を伺う。写真下の袴はお二人で実際に作られたもの。
鬼が登場する狂言「清水」
流行りのお茶会を自分も開こうという主人が、太郎冠者に家宝の水桶を持たせお茶の命である清水を汲みに行かせようとするが、太郎冠者は行きたくないばかりに一計を案ずる。それは清水の湧き出る場所へ行ったものの鬼が出たのでほうほうの体で帰ってきたと嘘をつくことだった。主人は怪しみ、家宝の桶も見つけたいので太郎冠者の静止を振り切ってその泉に出かける、先回りして鬼に扮した太郎冠者、、、うまく騙せるものか。そのやりとりがオーバーラップしていき熱が上がっていくのも見所。お二人の声の響きや、思わず笑ってしまうことが、心身をマッサージしてくれる。
みんなで肩を揺らして笑ったあと立春ということで春の謡「春毎/雪山」を後についてうたう。前回の「若菜の節供」でも学んだ光孝天皇の御歌が元になっている。
続いて御子息健一郎さんの「春毎」の謡で、健太郎さんが一差し舞ってくださる。健一郎さんの謡も艶があって、お父さんである健太郎さんの舞が清らかに華やかに場を清浄にしていく。
舞でうっとりした後の締めは、狂言の型で大名や神様の笑いを習う。
最後質問ではなく「笑い」のおかわりを所望。花も笑っているようだ。
もう、良い春を迎えられること間違いなし。
床の間のお軸とあいまって、縁起の良い舞台の鏡松をイメージして活けた。白梅や小手毬は『春毎』の歌の雪とよく合っていた。立春らしい黄色い花木の輝きと常盤木の松と名残の冬の老梅、雪に見立てた小手毬。
少し時間延長して丁寧に質問などに答えてくだった。型のちからはいつでも鏡として、暗闇を邪念を打ち破ってきたのかもしれない。
お見送りに出た夜の境内は、奥津さん親子のお陰だろう春が覗き見に来ていたようだ。春宵と言えそうなほど暖かく春の匂いがして、白梅を染める月が美しかった。