2022・12・22 冬至の夜は隣町珈琲店さんでの「安田登の『古典で読む未来』」の第三回目「植物から読む源氏物語」にて花活けと鼎談でした。
はじまりは安田さんが源氏物語の「夕顔」をもとに作られた「半蔀」の一部を笙の奏上と共に朗誦され、さらに書評家の祐真(スケザネ)さんの朗読も加わる中で花活け。
花材は白梅(冬至映え)、椿(秋の山)、アテ、日陰葛、蝋梅、水仙。
黒板にどなたかが描いた冬らしい絵があって、雪にも例えられる白梅と良い塩梅。
「辻占恋慕」のポスターもなんとなく源氏物語っぽい。
光源氏だから太陽の復活の日でもあるこの日をまさか選んだのかと思って聞いたところ全くそうではないらしい。とはいえ狙うのもいやらしい。
でも、通い婚の時代、身分の高い女性はおいそれと姿は見せず、見られるのは恥、というくらい。奥にいる女性達に「光」源氏が通うのは、古代ケルトのニューグレンジの遺跡などのように冬至の日の出が墳丘の奥まで射し込むと再び年が巡り始めることと通じていると僕には思える。
植物は闇で蠢き、光を求め、光に呼ばれ、世界に顕れ、また母なる闇へと帰っていく。
光の精神は、人と通じる。植物と人は細やかで濃やかな交流をしていたのだろう。息として混じり合う植物と動物だけど、もっとマジカルで妖しく、精神の奥で混じり合っていたのだと思う。
祐真さんの和歌や思想をめぐるお話と、安田さんのお能の身体性と知性が、活けた花を光らせてくれた。梅を活けたので、定家の「梅(むめ)の花 にほひをうつす 袖のうへに 軒もる月の かげぞあらそふ」をはじめ、写真にも見られる「移り香の身に染むばかり契るとて扇の風のゆくへ尋ねむ」などに話が及ぶように、花の生は、性でもあり、精でもあり、聖なるもの清でもある、そのあたり。古の人と植物との交情を思いやるのはクセになりそう。(写真は会場にいらしていた後藤さんのTwitterと来場の方の投稿より拝借しております)
地下空間で枝垂れ柳に寄り付いたものは、日蔭葛を伝い、床を這う。