お手入れ中の写真はうんさんが撮ってくれたもの。活けたらあとは、場当たりや、リハーサル、ゲネプロを経て本番までいい状態が保てるようにお手入れをする。
連翹に決めたのは、特に「garden」のシーンのイメージから。旬のものの中から1番合いそうなものを選ぶ。舞台映え、厳しい条件での花持ちの良さなど。転換で花をどう動かすのかも課題。
うんさんが最終的には演出を決め、足し算引き算をして、組み立てていく。とても覚えられるとは思えない振り付けを稽古し、舞台で生き生きと踊り切るのはダンサーたちだが、衣装や音楽のほか、ステージワークとしての音響、照明、演出部の人たちの阿吽の呼吸がマジックを生む。リアルな舞台は、重力を持ち、次元を超えてしまう。
現代社会への様々なオマージュ、そして日常に明滅する光と闇とその無限の営み。
こんなに巨大な渦の中にいて、どうして僕たちは溺れないのだろう。こんなに高速な時空にいて、どうして吹き飛ばされないのだろう。僕たちは多分止まったら呑み込まれてしまうのだ、溺れてしまうのだ。一緒の光陰となって、宇宙に浸透して、息をしているから、生きている。思い患わず、嘘に惑わされす、おのれの誠に生きていたら、きっと連翹の花のように自由に飛び立てるのだろう。春の喜び、大地から天へ、祝福の黄金の噴水。再び帰ってきた太陽を迎えにいく連翹。大気に満ちるひとときの祝福の応答に、目を凝らそう。
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「連翹」
連翹はモクセイ科。木犀科では、ヒイラギ、金木犀、ライラックなどがその仲間。犀の肌のような木肌を持つということから。早春に鮮やかな黄色の花を咲かすことから英名はgoldenbell, 中国名は「黄寿丹」古名は「いたちぐさ、いたちはぜ」。
連翹の「翹」は「ギョウ(ゲウ)」と読む。
「 はねをあげる」ことをいい、それは鳥が尾の羽毛を広げ、まさに飛ばんとする姿勢。「つま立つ」という意味も持つ。
羽毛に限らず、例えば木の枝が上に向かってせり伸びるのを翹翹といい、そのような枝を楚といい、長く伸びたものを翹楚という。翹楚はまた、人の卓出するものをいう語である。
「連」は「つらなる、つれ、しきりに」という意味がある。(『字統』白川静 平凡社)より
連は、音としては「恋」「漣(さざなみ)」などと通じる。
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