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インタビュー

お庭のリフォームもさせていただいた
THE FORUM世田谷

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現代人と自然の媒介人・塚田有一さん

風土の声に耳を澄まし、植物を通じて、忘れられた感性に呼びかける。

―― 塚田さんは、お庭のデザインや手入れのほか、ディスプレイなどお花の仕事、さらに、観葉植物を植えるプロダクトのデザインや、数々のワークショップと、幅広くご活躍ですよね。ここ、THE FORUMのお庭も、塚田さんの手によって再生しました。お庭やお花への興味と言うのは…。

塚田 きっかけは、好きだった場所が、なくなったことなんですよ。
出身は長野なんだけど、僕が大学に入った頃、長野オリンピックがあって、高速道路が自宅のすぐ上を通ったんですね。雑木林を分断して、景色も変えて。その前後はバブルで、日本中にリゾートとか、ゴルフ場ができた時期があって、その時にも、カブトムシがいっぱいいたところが、ゴルフ場になったりとか。
…子どもの頃は、ひたすら外で遊んでたから(微笑)。うちに帰ったらかばん置いて、バットかついでどっかいっちゃう。そんな道すがらに、好きな場所ってあるじゃないですか。
それが、帰省するごとになくなっていくのを、目の当たりにしたんですね。その前から、禅やお茶、水墨画など、日本人の美意識みたいなものに興味を持っていたので、例えば、お茶の露地に代表されるような美意識もあるはずなのに、なんでこうなっちゃったんだろうって。
大学3年くらいから、面白そうな授業は、できるだけ受けるようにしていました。その中のひとつだった芸術哲学の先生に、お茶をやってみたいと相談したら、紹介してくれたのがお寺で…。そこは、部活の時、しょっちゅう前を通っていたお寺だったんだけど、門の前に“拝観謝絶”と書かれているのを見て、1ヶ月くらい、悩みましたね。
その時、自分の細胞を信じようと思ったんです。端的には、谷川俊太郎さんの「芝生」って言う…。私は、いつの間にかこの芝生の上に立っていた。成すべきことは全て、細胞が記憶していた、って詩を読んで…。細胞が知っているなら、感性を信じよう、これでいいんだと思った。それで、お寺の門をくぐりました。
実は、卒業してから、同じお寺にもう一度入って、その時は、1年間住むんだけど。今思うと、お茶とか、禅宗の生活の中には、お節供も含めて、全部入っていたなって感じがします。

―― なるほど。ここ数年は、お節供の意味や、やり方を伝えるような活動をされていますが、そういった経験もあったのですね。他にも最近は、日本の音、色と言ったテーマで、ワークショップの幅を広げていますよね。

塚田 日本は、四季の移ろいがすごく早いから、季節の変化が、日々の忙しさに埋没してしまう。それを少しゆっくりさせて、非日常な時間をわざとつくることで、過ぎ行く季節を惜しみ、やって来る季節の準備をするのが、お節供だと思っています。あとは、身近なものから、旬の力をいただくこと。それは、旧暦でないと難しいし、その上で、実際身体を使って行うことも、大事だと思います。
世界は、すごいスピードで移ろい、過ぎ行くもの。だからこそ、活け花やお能もそう、“型”があると思うんですが、お節供にも、相伝されるほど激しいものではないにせよ、形があります。型は、過去から引き継がれたある種の器みたいなもので、時代時代で、乗せるものは違うけれど、それがあるから、過去のものと今のものが合わさる。つまり、いつでもよみがえり、再生させられるんですね。だから、お節供の行為には、過去から何かを呼び戻すと言うか…。そう言うことも、あるんじゃないかと思って。
僕自身、型という舟に乗って、型にゆだねて行うことで、時間を越えて立ち上がってくるものを、その場にいる人と一緒に見るのが、面白いんです。
日本って、複雑な地形でしょ。プレートが4つ合わさって、その地形によって多層な暮らしぶりがあったのを、高度経済成長とかグローバルとか、そういうので、あえてなくそうとしてきたって言うのがあるんだけど、多層なものは多層のままでいいし、保存食とかも含めて、“風土に生きる”ってことを、植物を通してできたらいいと。
音も…。風土につくられた身体が選んできたものが、音楽も、楽器にしても、残ってると思うから。演奏する身体があって、声があって、風土から離せない。美意識も、ここで育つ植物や、そこから生み出された色と切り離せないし、おのずとつくられた、この風土で生きる人の、細胞の体感ですよね。だからこそ、自然との紐帯は、失っちゃいけないと言うのがあるかも知れません。

―― 最後に。
THE FORUMで、塚田さんがやってみたいイベントはありますか?
塚田 「響会」と言う、自然の音を聴くワークショップは、ちょうどいいかなと思っています。いい音響のアンプとスピーカーがあるし…。ここの庭には、聴く音があると思うんです。思いがけないものがやってきたり、葉ずれの音とか、井戸も流れも、池もある。
(池に飛来した、数羽の鳥を見て)って言うか、これ、アオジだよね!この鳥!ちょっと水があると、やっぱり来るんだよねぇ。


私物紹介
庭で折れていた枝

物、持ってこいって言われたでしょ?ずっと考えていたんだけど、ないんだよね。物に執着がないと言うか、持ってきて、ここに置けるような物がない。ちょうど、庭にスノードロップが咲いていたから、撮っといてもらえたらいいかも(※上の写真)。ああいう感じじゃないかな…。おもかげみたいなもの、情緒そのものみたいなものが大事だと思う。さっき、庭で折れていたこの枝を、たまたま手にしたこと。スノードロップが、今日ここで咲いていて、出会ったこと。そして今、アオジが来ている、まさにそのことが情緒だよね。民藝運動の柳宗悦さんの言葉に、「今ヨリナキニ」って言うのがあって、それを大事にしています。今しかない、今より他のものはないってこと。今が未来をつくる。