人は花に名をつける。その名にも存在そのものにも見えない地層がある。人それぞれがそうであるように、花というものに記されている、描かれている「もの」に耳を澄ませ、身体で触れたいと思っている。旬の花々との混淆によって、記憶されているものが呼び出され、新たに身体に刻まれていく。
一般的なお盆休みは明けた。柳田國男や、折口信夫や、戸井田道三らの書物から、お盆について改めて思いを巡らせていた。小さい頃のことを考えると、厳かさと笑いや泣くことによる蕩尽のお祭りであったことに思い至る。家族でよく出かけた浜比嘉島のエイサーにはまだ懐かしい共同体の祭り、島そのものと交流するような伝統が三線の響きや唄、踊りの中に残存していた。数年前松島へ高速道路で向かった時もお盆の頃で、放射能により立入禁止区域となった集落が見え、草に覆われた廃墟のようになったところへ御魂が帰ったら戸惑い悲しむだろうとその悼みを思った。柳田の『笑いの本願』や樋口和憲の『笑いの日本文化』などを読むと、お盆はさっきも書いたように笑いや泣くことが大きな要素だった。特に中世以降の仏教、また文明開花と呼ばれる西欧化、敗戦の傷などにより、また資本主義的思想による高度成長、挙句のバブルの乱開発という暴力によって風土は壊され、風土に育まれた共同体やその祭り、伝統はズタズタにされてしまった。でも、水脈はまだ辿ることができると思っている。
『不幸な芸術 笑いの本願』(柳田國男 岩波文庫)の解説は井上ひさしさんが書いている。
柳田國男への挨拶 井上ひさし
柳田國男は蕉風俳諧の比類のない後継者だった。連句の会席では全てをはっきり言い切ってしまうのは禁忌である。そこでの付け合いは、互いに微妙に反響しあい、挨拶し合いながら挙句へと進んでいく。互いに心を開きあって、物静かに咲みつつ、その一刻を賞翫する。そこに座が成立する。柳田國男はその座がいくつか集まって、より大きな座を作り、究極が日本という国であれと祈っていた。
本文には「笑い」と「咲み」は別のことだとあり、季語にも「山笑う」とあるが、この場合の「笑う」は「咲う」であって、声高に笑うということではおそらくなかった。ふさわしいのは「咲み」であって、盛春になれば「笑う」様相にも見えようが、慎ましやかに「ほほ笑み」から「えみ咲う」、という方が春の山の姿に相応しく、僕たちの感性にも触れてくるように思われる。
今日はまず僕ならこれらの花材、どう活けるのか、花材の特性や個性を、それぞれどう見立て、活かすように、小さなひとつの調和を引き出すのか、彼らとの今此処でどう混ざるのか、そのことを見ていただきたくてデモをする。
花は「咲みわらい」そのもの。光そのものである。それをめぐって活けるこの花の座は、芭蕉がめざし、柳田國男が願った「笑の本願」でありたい。この花綵列島という名をもつ島の一隅で、花と混じり花と笑う時間=ハレの時間。