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風景が情緒をつくる 手間と隙(ひま)

風景が情緒をつくる。
 松江の個人邸の現場が8月終わりから始った。道路境界の石積みから。
 松江城の建つ小高い山と元々は地続きの土地。お堀を作ったので掘削されて分断されてしまったようだ。小泉八雲記念館の裏に当たり、松平不昧公が普請した「明々庵」がある。その切り通しの古い道沿いに土地を求めたお施主さんは、その雰囲気をあまり壊したくない。そうしてしきりに小さい頃過ごした風景のことをお話になる。
 さりげない故郷の風景、なんでもないような平凡な風景は、幼心を育む。そうした風景、そこに住んでいた生き物たちはあまりにも蔑ろにされてきた。コロナを切っ掛けに地産地消や、季節や生き物と共生してきた暮らしを見直せるといい。SDGsはそこではないかと思っている。風景の貧しさはそのまま情緒の貧しさだ。しかし、現場をみてみるとキレかけている糸は簡単にはたぐれそうもない。
 松江城に立派な石垣があるし、地元の石で職人さんでと思っていたけど、忌部石も島石も大御崎石も閉山していて取れない。切り通しの石垣は多く島石で、最も多くこの辺で使われてきた。でも、もうほぼ新しくは取れないという。古いお庭の解体や、開発で出てきた石を石材屋さんが持っているところもあるけど、立派すぎて目指している石積みの雰囲気には合わない。数も必要だ。結局時間的な制約もあり、県内では調達が難しかった。更にはこうした石積みができる職人さんが界隈では見つからないという。松江城の修復などがあっても。松平不昧公のお膝元であっても、このような状況。
 造園工事についてお願いしようと思っていたお隣の鳥取県の懇意の庭師に相談して、鳥取城の石垣に使われている石を調達できることになった。お隣の県なので、庭師にお施主さんの案内を頼み、山を見て確認してもらった。気に入ってもらえたようだ。空積みできる職人さんもあてがあると言う。有り難いこうした小さな繋がりに頼らざるを得ないのが現状。繋がらなければ諦めてもらうしかなかった。
 諸々の調整があって、8月末からの着工。敷地内は建築工事も途中で石置き場もない、道も狭い中、重機も最小限。
 丁張りして、裏込めしつつ、根石を据え、土も足しながら徐々に上げていく。台風もきて中断もあったけど、折り返し三段のまず一段目。ペースが上がってきた。
 実はそもそも現場が少ないためこうした空積みをできる職人さんも減っている。現場を見ることも無いし、実際に手を動かす若い職人は本当にいい経験になる。
 
 空積みでモルタルを詰めなければ生き物も住める。植物も入り込む。呼吸できる。
 それにしても、重くて硬い石。細心の注意が要る。焦っては怪我につながる。コツコツ割って面を合わせていくのは地道な作業だ。手間と隙(ひま)。なるほど。そうか。隙が大事。息を詰めてばかりではこうした仕事はできない。 
 ここ100年くらいだろうか、この手間を惜しみ、ひまは無駄と思わされすぎてきたのではないか。
 空積みなら積み直しもできる。庭師に限らず、各地に残る棚田や蜜柑畑などの石積みは共同作業で作られたものが多いと思う。修復しながら風景は残されてきた。
 間(ま)の無い仕事は結局息を詰まらせ、生を脆くさせる。そして石は生きている。雨に濡れた時の艶と言ったら、石に及ぶものは少ない。元々ここに建っていたのはお茶を嗜んだ方のお住まいだった。お茶室もあって、今のお施主さんも茶室を作っている。あるものを活かす、露地へ取り掛かるのも楽しみだ。