月一回の花の座「伝芭」Sansa座。11月の座はちょうど72候の「金盞香」。「金盞」とは芭蕉によって「そのにほひ桃より白し水仙花」とうたわれた水仙のことだとされる。確かに水仙は輝くような黄色の杯をもち、芳しい香りがなみなみと注がれているようだ。この黄色という色、この時期の黄葉だけでなく、木々のもみじと一緒に咲く菊、そして柑橘類など、暮れゆく1年の終わり、目に見える生命の活動が減っていく時期は特に重用される。冬を越えてゆく希望として冬の祭りには欠かせないものとなっている。秋の終わりの重陽の節供からはじまり、冬ともなると、ふいご祭り、新嘗祭、冬至、お正月などなど柑橘類は太陽の再生のシンボルとして欠かせない。枝物として蜜柑と満作を選んだ。満作は本来はとても綺麗な黄色に色づくのだが、まだ染まり始めの枝となった。もみじする落葉樹はいずれもその葉が紅葉する頃には春に芽吹く小さな芽(冬芽、休眠芽)を付け根に宿している。眠りに入る前、色彩が生まれた場所へ帰っていく時、その本来うちに秘めている色を放って、帰っていく。次の命に場所を譲って。「ミタマノフユ」はもう始まっている。「新嘗祭」という神事もそうした植物や動物たちの営みを真似て、肖って、それらを複合して物語化されている。毎年いや毎日僕たちは生命の儚さを感じている。かたちを変えながら永続していく生命の振る舞いを擬いて、その神秘に触れようとする。そうすることで自らの命を賦活していくのだろう。花を活けるという行為で、花と滲み合い、融合し、ともに同じ方向を向いて祈りを立て、魂の成就を図る。それは一つの占いでもある。彼我の気が調和し充実すれば、小さな宇宙樹となって世界を整えていく。止まることなく変転していくからこそ、世界は美しい。切り出されつつ、結ばれている世界の美しさは「ミニマ・グラシア」=恩寵である。花の座の「めぐり花」では、そのことを知るための讃歌が静かに厳かに朗らかに立ち上がる。