隔月刊の『GA』184号掲載のインタビューを受けた。家からも近いので千駄ヶ谷のギャラリーにお邪魔する。外からはあまりわからないが、入ってみると箱の積み重ねのリズムが結構ユニーク。コンクリート打ち放しの建築は、安藤忠雄も影響を受けたそうだ。
植物との出会いから、平田晃久くんとのコラボレーションについて、SDGsなどに見られる経済現象、またその中で作庭や活け花の意味とか有り様について、思うところを色々とお話した。
建築とお庭の話はこれまでも取り上げてもらったけど、活け花のことも繋げて話してほしいということはほとんどなかった。僕がそもそも植物を生業とするようになった入り口はフラワーアレンジメントとか、活け花だった。アレンジメントから入って、茶道や禅に興味があったためか、お茶を習いつつ、活け花の先生にもついた。暇さえあれば実家の近くの野山をフィールドワークした。バブル時代のゴルフ場開発や長野オリンピックのための高速道路工事などで、失われた大好きな場所がたくさんあったが、植物はまだ豊かだった。花屋さんでもアルバイトした。やがて草月流のアトリエに縁があって、東京に再び出て四年半ほど助手として学ぶ。やがて助手向きではどうやらなさそうだし、子供が生まれたことと地下鉄サリン事件などきっかけに四年半ほどで一度助手は辞めた。
しかし一年もするとあれほど触っていた花というものの触感が懐かしく、再び植物界隈で仕事を探す。花よりもうちょっと大きな規模で仕事したいと思った。ランドスケープデザインにはもともと興味があって、大学卒業後は海外で学びたいと思っていたくらいだった。
ランドスケープや作庭に、興味があったのは、失われてはならない風景を幼心に抱いていたこと、風景が失われることはすなわち情緒も奪われると直感していたからだろう。だからその時盛んに造成されていた自然破壊を伴う、日本の風土とそぐわないテーマパークやゴルフ場、リゾート「的」なものに、圧倒的な違和感を持っていた。日本人が近代以来失ってきたもの、そこに未来へのよすががあるとずっと思って、ご縁のある仕事を続けている。
建築家さんとの仕事がとても多くなった。
記事の中にもあるが「共話」と「手間隙」を大切にしている。
共話は、卒意を大切にしながら、木々の声、土や石の質や姿、時間や予算、お施主さん、設計さんの思い、様々なものが絡まり合って、なんとなくみんながみる風景を調整しつつ、仕上げに向かっていくことだ。職人さんの石積みのリズムや大工さんたちの鼻歌も絡まってくる。同じ方向をそれぞれの見方味わい方でリズムで見ていることが大切。デザインはそうした力をまとめて結集し、結果的にその印付ららたイメージを乗り越えることを目指す。そして一つ一つに「テマヒマ(手間隙)」をかける。その一見無駄に見える「隙」にこそ、息が通う。生命が宿る。発光する。発酵もする。そしてそれは風土と切り離せない。風土が育んできた五感や身体性とも。
せめて次の命が風通しよく、生き生きと醸成される母胎のような場を、建築は目指すべきだろう。あたかも人すら生物ではないかのような経済効率や生産性を求め続けた建築は、まるで墓石のようだ。都市は墓石が林立する墓地だ。庭はそれを打開する。庭は人のためにだけ作られるものでは全くないからだ。さまざまに絡まるものがやってくる。風景が生まれる。街に開かれた傷口のような庭に、鳥や蝶がやってくる。情緒さえ活性化されれば、多様性もSDGsの問題もなくなる。
世界は美しい。そのことを思い出すために都市に庭は生まれ、活け花も屋内に引き入れられ、ハレの場を生む。ケガレはハレによってそもそもの清らかな状態に戻される。ハレの場を人びとはあえて作り、守り続けてきた。お祭り、お節供や雑節の行事、住まいなら、竈、囲炉裏、床の間、神棚などなど。その意味を忘れ、物理的になくなってしまったら、途端に消滅する可能性があるが、形があることで生きながらえている。形骸化していたとしても、型があればなぞることができ、その型の意味を考えることができる。